「花の下もと」(円地文子)

陽の当たらない道をひっそりと、しかし

「花の下もと」(円地文子)
(「日本文学100年の名作第7巻」)
 新潮文庫

「お勢が亡くなった」と、
とき子は「私」に告げる。とき子は
歌舞伎俳優・喜瀬川仙寿と一時、
熱い仲になった女であり、
お勢はその喜瀬川家に仕えている
女中だった。
老境に達したとき子は
お勢についての思い出を
静かに語りはじめる…。

年齢を重ねた作家である「私」が、
同世代と思われる
とき子との回想を聴くという、
何も事件の起きない、
ただそれだけの筋書きですが、
しみじみとした情感が漲る
味わい深い短篇作品です。
とき子が語る、
お勢の思い出話の要点は三つあります。

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一つは、お勢がしみじみと語った
仙寿との思い出です。
お勢は喜瀬川の家を支える
裏方たちの中でも
「女」として見なされていない女でした。
情事の多さで知られる仙寿でしたが、
お勢に対してはそれらしい気振を
見せたことが一度もなかったのです。
しかし仙寿が亡くなってから
しばらくした後、一度だけお勢が、
仙寿から譲り受けた紙入れを取り出し、
その思い出を
懐かしく語ったというのです。

一つは、その出来事があったときの
仙寿の演じた出し物についてです。
役者の絵姿に惚れ、
下女となってかいがいしく仕えて、
一度だけ結ばれた矢先に
主人の身代わりになって、
毒酒を飲んで死ぬという女が描かれた
「浮世柄比翼稲妻」の筋書きが
語られます。

そしてもう一つは仙寿の孫・仙子が
役者としての成長著しく、
祖父・仙寿の芸に近づきつつある中、
お勢は長年住み慣れた
喜瀬川の家を出て、
近くのアパートに住み始めたこと、
お勢がその仙子に
つっけんどんな態度をすることなどが
語られるのです。

老いたお勢が、
なぜ仙寿の孫・仙子に
冷たい態度をとるのか?
それが最後に
とき子の口から語られます。
お勢は密かに仙寿を愛していたこと、
その片思いの姿はまさしく
「浮世柄比翼稲妻」の下女と重なること、
仙子が先代・仙寿の
生き写しのようであることから、
ことさら距離を置こうとしていること。

七十を過ぎ、
人生の終末を迎えたとき、
若き日に片思いしながらも
手の届かなかった男の孫が、
かつての面影そのままに、
自分に対して
優しい気持ちで接してくる。
心がときめいたのでしょう。
心がときめいたからこそ、
距離を置かなければならなかった
お勢の心情、そしてそれ故に
一人孤独に生を終えざるを得なかった
哀れな境遇。
それは決して悲しい運命などではなく、
彼女にしてみれば
幸せなひとときを過ごした
温かな晩年だったと思うのです。

歌舞伎役者・仙寿のように、
華やかな一生を歩む者もいれば、
とき子のように
したたかに生き抜く者もいて、
お勢のように
陽の当たらない道をひっそりと、
しかしたゆまずに歩む者もいる。
哀しみを湛えた物語でありながら、
なぜか読み終えると
心に灯がともったような気持ちで
いっぱいになります。
それは作者・円地文子が
そうした日陰の生き方に寄り添う視線で
描いたからに他なりません。

単行本等に
収録されていなかったと思われる、
円地文子の底光りのするような逸品。
寒い冬の日に読むと、
心がじんじんと温められます。

「日本文学100年の名作第7巻」
 収録作品一覧

1974|五郎八航空 筒井康隆
1974|長崎奉行始末 柴田錬三郎
1975|花の下もと 円地文子
1975|公然の秘密 安部公房
1975|おおるり 三浦哲郎
1975|動物の葬禮 富岡多惠子
1976|小さな橋で 藤沢周平
1977|ポロポロ 田中小実昌
1978|二ノ橋 柳亭 神吉拓郎
1979|唐来参和 井上ひさし
1979| 李恢成
1979|善人ハム 色川武大
1979|干魚と漏電 阿刀田高
1981|夫婦の一日 遠藤周作
1981|石の話 黒井千次
1981| 向田邦子
1982| 竹西寛子

(2021.1.24)

ichimiによるPixabayからの画像

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